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 環境デザインのたしなみ > 環境デザインとは > デザイン論の基礎

 そもそも、デザインとは何か?

 根源的な問いかもしれませんが、そもそもデザインとはなんでしょうか。
「デザイン小事典:編集 福井晃一,ダヴィッド社」によると

「意匠・設計・図案などと訳される。狭義には図案装飾の意に解されるが、広義にはあらゆる造形活動に対する計画をいう。一般的には、ある一定の用途をもつものを作ろうとするとき、それが用途にかない、しかも最も美的な形態をもつように計画・設計すること、と解される。デザインの語源は、"計画を記号に表す”ことを意味するラテン語の designare で、これから敷衍(ふえん)すると、デザインとはある目的に向けて計画を立て、問題解決のために思考・概念の組み立てを行い、それを可視的・触覚的媒体によって表現・表示することと解される」

とあります。
しかし今日では、デザインに対してより多くの要求がなされ、単に用途にかなった美しいものを計画・設計するだけでは、クライアントの満足度を満たすことが難しくなっています。新たな要求とは、例えば「安全性」、「耐久性」、「経済性」などであったり、あるいは「売れるデザイン」「他との差別化を図るデザイン」であったりと、デザインする対象物により様々です。

 

 このサイトにおけるデザインの定義づけ

 かつて、サイト管理人のデザイン教育における恩師は、このような明晰なデザインの定義づけを行ってくれました。

「デザインとは、あるものを対象に、それに求められる様々な要件を解決し、理想のかたちへと導く行為である」

 今日の複雑なデザイン環境では、様々な求められる要件が、時にはトレードオフ(相反性のある関係)であることも少なくありません。「美しいデザインにしたいけれど、かけるコストは最小限で」とか、「差別化を図れる形態で、かつユニバーサルデザインで」などなど。
であるからこそ、上記のデザインの定義は今日的であり、また理解しやすいのではないかと考えます。そこで、このサイトにおけるデザインの定義づけは「デザインとは、あるものを対象に、それに求められる様々な要件を解決し、理想のかたちへと導く行為である」とすることとします。

 

 デザインとアート(芸術)の違いについて

 時々、巷でデザインとアート(芸術)を混同して理解している方々を見受けます。ひどいところでは「○○デザイン芸術学園」という名称があったりもします。アートとは、「作品の創作と鑑賞によって精神の充実体験を追求する文化活動。文学、音楽、造形美術、演劇、舞踊、映画などの総称。(日本大百科全書)」とあります。
もちろん、デザインとアートは従兄弟のようなものですが、ある部分では似て非なるものでもあります。それでは、その両者を比較してみましょう。

 この比較から言えることは、デザインは、デザイン対象物を発注するクライアントや実際にそれを使う生活者の満足度を第一義としておくべきであるということです。また、デザイン対象物は、常に日常的な用途を満たすことが求められるということです。
デザイナー自身でも自らを芸術家と混同し、自身の作品の実現を第一義において仕事をされる方を(特に建築界などで)見受けられますが、自身を芸術家でなくデザイナーとして位置づけるのであれば、何を第一義とすべきかを理解することが必要だと思われます。

 

 良いデザイン、悪いデザインという判断

 良いデザイン、悪いデザインという判断は難しいものです。よく、「製品Aはデザインはいいんだけれど使い勝手が悪くて・・・」とか、「製品Bはデザインはいいんだけど売れないんだよね・・・」などの言葉を耳にしたりもします。
しかし、先ほど定義した「デザインとは、あるものを対象に、それに求められる様々な要件を解決し、理想のかたちへと導く行為である」とするならば、製品Aも製品Bも結局は悪いデザインということになります。なぜならば、両者とも、デザイン行為において求められる要件をすべて解決することができなかったからです。

もちろん、様々なトレードオフの要件をすべて解決できるウルトラCは、そうそうあるものではありません。おそらく、それができたものこそが歴史に残る名デザインと呼ばれるのでしょう。
しかしデザイナーには、様々な種類の異なる要件を整理し、相反する要件を解決するアイデアを考案したり、要件に優先順位を設定し特色のあるデザインを生み出す義務があります。ある要件は最大限満たしているが、ある要件は切り捨てざるをえなかったというデザインは、残念ながら悪いデザインのグループに含まれるのではないでしょうか。

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 これまでの芸術様式の歴史

 デザインという言葉が認識されるようになったのは、19世紀後半頃からだと言われていますが、美術、音楽、文学、建築などの芸術の分野では、古くは1000年代から芸術様式が存在していました。これらの様式の分類は、あくまでも後世の研究者が歴史を紐解き、分類したものですので、当時から様式として認識されていたものではありません。しかし、芸術様式の歴史的な流れを理解する上で非常に役立つ考え方です。
これらの芸術様式は、19世紀後半以降は、芸術様式=デザイン様式となっていきます。ですから、デザインの歴史を知る上で、芸術様式の歴史的な流れを理解することはとても重要なことだと考えられます。

それでは、1000年代から現在に至るまでの芸術様式の歴史を概観してみましょう。ちなみに、様式の変化を理解しやすくするために、主に建築に着目してそれぞれの様式の特徴などを説明していきます。


これまでの芸術様式の歴史
(日経アーキテクチュアの記事を参考に作成、写真出典:ウィキペディア)

 

(以下、芸術様式の出典:ウィキペディア)
※1 緑文字での表記は上記文献・サイトからの引用物を示す, ※2 語尾をです・ます調に変更した

 ロマネスク (Romanesque)

 ロマネスクとは「ローマ風の」という意味のフランス語です。当初、ロマネスクという言葉は、「堕落し粗野になったローマ風の様式」という別称としての側面が強く、その芸術的・建築的価値が評価されるようなになるのは20世紀になってからでした。

ロマネスク建築は、フランスなどを中心に11世紀以降の中世ヨーロッパで発達したもので、教会堂や修道院建築などが代表的なものです。最初のヨーロッパ建築といっても過言ではなく、同時代のビサンティン建築(東ローマ帝国勢力化で興った建築)と同じく、教会堂建築において最高の知識・技術・芸術が集約されており、彫刻や絵画は聖堂を装飾するための副次的要素として扱われていました。

 
マリーア・ラーハのベネディクト会大修道院教会堂

 
ダラム大聖堂の内部

 

 ゴシック (Gothic)

 ゴシックとは「ゴート人の」を意味する言葉であり、ルネッサンス期のイタリアの美術家が中世時代の美術を粗野で野蛮なものとみなして、「ドイツ風の」あるいは「ゴート風の」と呼んだことに由来する蔑称です。中世の教会建築、絵画などの様式を示す概念として捉えられていました。19世紀になって、ロココ様式や新古典主義に対する反動から、中世の時代へ関心が向かい、建築を中心にゴシック様式を回顧的に用いるゴシック・リバイバルが生まれました。

ゴシック建築は、12世紀後半から花開いたフランスを発祥とする建築様式です。建築の形態的・技術的要因、図像などの美術的要因の定義づけが難しいという点で、他の建築様式に比べるとかなり不明瞭な様式のくくりであると言えます。尖ったアーチ(尖頭アーチ)、飛び梁、リブ・ヴォールトなどの工学的要素がよく知られており、あたかもそのような建築の技術的特徴のみがゴシック建築を定義づけると考えられがちです。しかし、ゴシック建築の本質は、これらのモティーフを含めた全体の美的効果の方が重要で、ロマネスク建築が部分と部分の組合せで構成され、各部がはっきりしているのに対して、ゴシック建築では全体が一定のリズムで秩序づけられています。


パリのノートルダム大聖堂


ランのノートルダム大聖堂内部

 

 ルネサンスまたはルネッサンス (Renaissance)

 ルネサンスとは、フランス語で「再生」を意味する、14世紀〜16世紀にイタリアを中心に西欧で興った古典古代の文化を復興しようとする歴史的文化革命あるいは運動です。

ルネサンス建築は、イタリアのフィレンツェで1420年代に始まり、17世紀初頭まで続いた建築様式を指し、古典古代を理想とするルネサンスの建築における表現と言えます。人体比例と音楽調和を宇宙の基本原理とし、ローマ建築の構成を古典主義建築として理論づけました。

ルネサンスの時代には、楽器が奏でる美しい和音の比例が、建築の美しさをも決定するという概念がルネサンス建築を特徴づける要素のひとつです。数的秩序によって調和が生まれるという概念は今日でも理解しやすいものであり、その中には普遍的な要素があると言えるでしょう。建築の美というものが単純な整数比に支配された幾何学的な構造によって、厳密に定義されると考えられていました。


レオナルド・ダ・ヴィンチによるウィトルウィウス的人体図


サン・ピエトロ・イン・モントリオ教会のテンピエット


サント・スピリト教会内部空間

 

 バロック (Baroque)

 バロックという語は、真珠や宝石のいびつな形を指すポルトガル語からきています。 この語には、いびつさという概念が含んでいたと思われます。
バロックは、16世紀から17世紀初頭にかけてイタリアで誕生し、ヨーロッパの大部分へと急速に広まった美術・文化の様式です。誇張された動き、凝った装飾の多様、強烈な光の対比のような劇的な効果、緊張、時として仰々しいまでの饒舌さや壮大さなどによって特徴づけられます。

バロック建築は、彫刻や絵画、家具などの諸芸術が一体となった総合芸術として捉えられます。ルネサンス建築、古典主義建築ではオーダーやアーチを用い、均整の取れた静的・理知的な構成の美しさを特徴としますが、バロック建築では、オーダーやアーチは用いられますが、しばしば曲面を用いたり彫刻・絵画を総動員するなどして、感情に訴える動的・劇的な空間をつくりだそうとします。その点から、反古典主義的とも言われます。


ヴァッハウ渓谷のメルク修道院


フランス、ユッセ城のバロック庭園

 

 ロココ (Rococo)

 ロココとはロカイユに由来する言葉であり、ロカイユとは岩の意味で、バロック時代の庭園に造られた洞窟に見られる岩組のことでした。それが転じて、1730年代に流行していた曲線を多用する繊細なインテリア装飾をロカイユ装飾と呼ぶようになりました。ロカイユ装飾は、イタリアの貝殻装飾に由来すると考えられていますが、植物の葉のような複雑な曲線を用いた特有のものです。

ロココ建築は、主に宮廷建築で用いられた後期バロック建築の傾向を指すもので、独立した建築様式ではありません。室内装飾に特徴があります。ヨーロッパのバロック建築最盛期の後、18世紀フランスに始まり、各国に伝わりました。
ロカイユ装飾が天井周りに多く使われ、壁と天井の境界が明確でなくなるのがロココの特徴です。大規模・重厚なバロック宮殿よりは、小規模なサロンを好む繊細な趣味が基調にあります。


ロココの家具(ロカイユ装飾)

 

 新古典主義

 新古典主義とは、18世紀後半以降、フランスで見られた古代ギリシア・ローマ(古典古代)への回帰主義を指して使われるようになった言葉です。他のヨーロッパの国でも同様の傾向に対して使われます。当時はもっぱら「真の様式」とのみ呼ばれていました。

新古典主義建築は、18世紀後期に、啓蒙思想や革命精神を背景として、フランスで興った建築様式です。ロココ芸術の過剰な装飾性や軽薄さに対する反動として荘厳さや崇高美を備えた建築が模索されましたが、やがて19世紀の歴史主義、様式乱用の中に埋没しました。
18世紀にこの様式が勃興した当初は「真の様式」と呼ばれ、古代または始原に存在したとされる真理を再生・復興することを目的とした画期的な建築運動でした。美を具現する唯一の様式としてイギリス、ドイツ諸国に波及したという意味で一種の普遍性があり、その建築思想は後のモダニズム建築にも受け継がれています。


サン・シュルピス教会正面


エトワール凱旋門

 

 アール・ヌーヴォー (Art Nouveau)

 アール・ヌーヴォーとは、「新しい芸術」を意味する、19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパを中心に開花した国際的な美術運動です。花や植物などの有機的なモチーフや自由曲線の組合せによる従来の様式に囚われない装飾性や、鉄やガラスといった当時の新素材の利用などが特徴です。分野としては建築、工芸品、グラフィックデザインなど多岐にわたりました。

第一次世界大戦を境に、装飾を否定する低コストなモダンデザインが普及するようになると、後のアール・デコへの移行が起き、アール・ヌヴォーは世紀末の退廃的なデザインだとして美術史上もほとんど顧みられなくなりました。しかし、1960年代のアメリカでアール・ヌーヴォーのリバイバルが起こって以降、その豊かな装飾性、個性的な造形の再評価が進んでおり、新古典主義とモダニズムの架け橋と考えられるようになりました。

お気づきかもしれませんが、ここで初めて「デザイン」という言葉が出てきました。後の章で詳しく述べますが、アール・ヌーヴォーの運動のひとつである、ウイリアム・モリスによる美術工芸運動からデザインの歴史が始った、との見方が一般的にされています。


アントニ・ガウディによるサグラダ・ファミリア


ウィリアム・モリスによるカーペット


エクトール・ギマールによるパリ地下鉄出入口


ヴィクトール・オルタによるタッセル邸

 

 アール・デコ (Art Deco)

 アール・デコとは、「装飾美術」を意味する、アール・ヌーヴォーの時代に続き、ヨーロッパおよびアメリカを中心に1910年代半ばから1930年代にかけて流行、発展した装飾の一傾向です。幾何学図形をモチーフにした記号的表現や、原色による対比表現などの特徴を持ちますが、その装飾の度合いや様式は多様です。

アールデコは、1925年に開催されたパリ万国装飾美術博覧会で花開きました。博覧会は略称をアール・デコ博といい、この略称にちなんで「アール・デコ」と呼ばれるようになりました。


アール・デコ建築のクライスラービル


東京都庭園美術館

 

 モダニズム (Modernism)

 モダニズムとは、近代主義を意味します。20世紀初頭に各分野で起こった実験的な芸術運動であり、モダンアートともいいます。 建築では、過去の装飾を用いた様式建築を否定する動向から、やがて合理的な建築を理想とする近代建築運動が起こりました。

モダニズム建築は、19世紀以前の洋式建築を批判し、市民革命と産業革命以降の社会の現実にあった建築をつくろうする近代建築運動によって生まれた建築様式です。モダニズム建築は、普遍性・国際性を主張しますが、その表現には幅があり、まったく同じ様式が世界中に普及したわけではありません。
モダニズム建築は、用途や要求に則した建築を機能的に設計する19世紀の歴史主義建築の建築思想を拡張し、再構成することによって成立したといえます。単に装飾を省略するだけではモダニズム建築は成立せず、18世紀後期に相対化された歴史的様式の変わりに、普遍的な空間の概念が導入されています。

また、後の章で詳しく述べるバウハウスは、モダニズムを代表する教育機関であり、1919年にドイツヴァイマルに設立された、工芸、写真、デザインなどを含む美術と建築に関する総合的な教育を行った学校です。また、その流れを汲む合理主義的・機能主主義的な芸術を指すこともあります。学校として存在しえたのは、ナチスにより1933年に閉校されるまでのわずか14年間でしたが、表現傾向はモダニズム建築に大きな影響を与えました。


バウハウスのデッサウ校


ル・コルビュジエによる議事堂、チャンディーガル


ミース・ファン・デル・ローエによるバルセロナ・パビリオン

 

 ポストモダン (Postmodern)

 ポストモダンとは、「モダンの次」という意味であり、モダニズムがその成立の条件を失った(と思われた)時代のことです。ポストモダンはモダニズムを批判する文化上の運動で、近代の行き詰まりを克服しようとする動きです。

ポストモダン建築は、モダニズム建築への批判から提唱された建築のスタイルです。合理的で機能主義的となった近代のモダニズム建築に対し、その反動として現れた装飾性、折衷性、過剰性などの回復を目指した建築で、1980年代を中心に流行しました。
当初、「ポスト・モダニズム」という言葉も使われましたが、「イズム」とするほどの方法論構築もかなわず、後には「ポスト・モダン」として定着し、単なる流行現象として扱われ、現在ではあまり用いられることもありません。元来は近代建築の合理的画一性や単調さに対しての反省や批判からおこった建築スタイルですが、あまりの過剰性・奇異性などのあおりを受けて次の世代への可能性に至らず、模索の範囲に留まった一過的な建築表現として片づけられようとしています。


フランク・ゲーリーによるビルバオ・グッゲンハイム美術館


ジェームス・スターリングによるシュツットガルトの大学


ノーマン・フォスターによる香港上海銀行・香港本店ビル

 

 現代 モダニズムへの回帰?

 さてここからは、サイト管理人の言葉です。
これからの現代は、どのような芸術様式に向かっていくのでしょうか? ポスト・モダンの一時期の勢いは薄れ、モダニズムに回帰しているかのようにも思えますが、これから、新たな力のある「イズム」が生まれるのかもしれません。

なかなか、時代の真っ只中を生きている私たちが、後世の研究者が俯瞰的に見るような目で、現代の芸術様式を定義づけることは不可能に近いことです。
果たして、あなたには今現在を取り巻く世界を見渡してみて、そこから何らかの「イズム」を見いだすことはできるでしょうか。それとも、これからの「イズム」をあなた自身がつくりだすのでしょうか。

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 現代に影響を与えたデザイン運動

 近代史におけるデザインの歴史は、19世紀後半頃から始まるとされています。その起源とされる美術工芸運動と、モダニズムのデザインに大きな影響を与えたバウハウスについて、その概要をご紹介します。

  (出典:インダストリアルデザイン その科学と文化,森典彦編,朝倉書店)
※1 緑文字での表記は上記文献・サイトからの引用物を示す, ※2 語尾をです・ます調に変更した

 ウイリアム・モリスと美術工芸運動(Arts and Crafts Movement)

 産業革命から1世紀を経た1850年末、モリスは半ば憤りを感じながらロンドンの町を歩いていました。彼はアトリエを持つにあたって、そこに備える家具などを探すためにロンドン市内の店を巡っていましたが、多くの店で目にすることができたのは、装飾ばかりが過剰で、その実、品質があまりにも粗末な品々ばかりでした。
モリスは、日常生活用具は、美しく、良質でなければならないと考えました。日常生活用具の美しさこそ、日々それを使う民衆・大衆の生活に物心両面において真の豊かさをもたらすものであり、同時に、芸術を共有する喜びを人々に与えるものであるに違いないと考えました。

彼は、次のような世界を構築することが必要であると考えました。

  • 造形芸術と日常生活用具の造形とが有機的に統一される世界
  • 生活と労働・仕事における喜びの表現として、芸術が一部の芸術家の手から解き放たれ、民衆・大衆の生活の全般に浸透するような世界
  • 「もの」を作る人々すべてが芸術に参加し、同時に、「もの」を使う人々もまた芸術を理解し、すべての人々が芸術を介して結ばれるような世界
  • 民衆・大衆によって、民衆・大衆のために「もの」が制作され、同時に、制作者も使用者も幸せに感じることができるような世界
  • 芸術至上主義という自己の殻に閉じこもっている芸術家が、その殻を打ち破り、「薪の上の苔=日常生活用具」の造形に参加し、その参加によって、民衆・大衆とともに生きることの喜びを表現できるような世界

 彼は、仲間たちとともに、自らのその目標実現に向けての実践・創作活動を行いました。1861年設立のモリス・マーシャル・フォークナー商会(Morris, Marshall, Faulkner & Co.)、1890年に設けられたケルムスコット印刷所(Kelmscott Press)は、モリスが具体的造形を通じてその理念を社会に向けて提示した、まさに実践の場でありました。


モリスのデザインによるケルムスコット印刷所のためのマーク

 その実践の場の中でモリスが制作したものの多くは、手仕事を基調としていました。それは、彼がもの作りの本来のあり方の原型を14世紀後半のゴシックの時代に求めていたからです。彼は考えた、「ゴシック時代の、たとえば教会建築が人々の目を圧倒するほどの美しい世界を現出しているのは、それが職人たちの手仕事であるとともに、その時代の人々のすべてが神の存在を確信し、神に寄せる厚い信仰心を抱いていたからに相違ない」と。このような哲学から、彼は、自らも中世的な親方職人(master artisan)の再現者でありたいと考えたのです。

 サイト管理人は考えます。モリスの中世復古的思想は、現在に至るまで様々賛否がありますが、デザインという言葉の存在しない時代にモリスが描いた世界とは、まさに今日のような、様々な良質のデザインにあふれた美しい世界だったのではないでしょうか。

 

 バウハウス 教会の尖塔に陽光が輝くような時代の創造を

 1919年ワルター・グロピウス(Walter Gropius)によってドイツに設立された造形学校は、バウハウス(Bauhaus)と呼ばれます。このバウハウスは、開設後14年目の1933年に政権を奪取したナチスによって解散を命じられ、造形学校としての火を消したものの、解説から封鎖に至までのわずかの期間にスタッフ間で論議・実践された造形教育のあり方は、およそ今日までのデザイン教育のみならず社会におけるデザイン活動の原型・基礎をなしています。その意味において、バウハウスは現在のデザインの出発点なのです。

 バウハウスの初代校長となったグロピウスの思想は、概略、次のようでした。

「人間によって制作される造形物は、経済や科学技術や造形思潮などのすべてを包括的に内包している。また、すべての造形物は、その造形物が生み出された時代の文化やそれを造形化した人物の感性などが、目に見える具体的形象として具現化されたものである。それゆえに、造形家としてのデザイナーたちは、多彩な感性教育のみならず、体系的な造形訓練をつみ、同時に、形態と材料、形態と技術、形態と人間生理、形態と民族、形態と文化など、およそ形態生誕の基礎をなす自然・社会・人文諸科学の法則を十分に修得している必要がある」

 このようなグロピウスの主張は、1919年4月に打ち出されたバウハウス設立宣言にも濃密にあらわれています。中世のゴシック様式を思わせる教会の尖塔に溢れんばかりの陽光が輝いている状況を表現した版画が添えられたその設立宣言書の中で、グロピウスは次のように記しています。

「建築家よ、彫刻家よ、画家たちよ、われわれすべては工芸に戻らなければならない。なぜなら、芸術は、決して1つの専門によって成り立つものではない。芸術家と工芸家たちとの間に、何ら本質的な違いは存在しない。ぜひとも、われわれは、工芸家と芸術家の間に越えがたい障壁をもたらすような差別階級のない、新しい工芸家たちの共同体組織を創造しようではないか。われわれは、手を携えて、未来を見通した新しい構造を模索し、構築しようではないか。その未来においては、建築も彫刻も絵画も1つに融合され、そして、新しい次元の象徴であるかのように何百万の労働者たちの手が天に向かって高々と掲げられるような、そんな未来の構築を目指そうではないか」

1919年バウハウス設立宣言の表紙を飾った版画とバウハウスの教育システムを示す図

 近代デザイン運動は、このようなバウハウス設立宣言とともにその産声を上げたのです。それ以降今日まで、デザインに携わる者のすべてが、このバウハウス宣言の実現に向けて全力を傾けてきました。その意味において、バウハウスが目ざそうとしたものは、今日においても、また、おそらく将来においても、時代や民族を越え、普遍的で世界的な価値を持ち続けるでしょう。

 

 サイト管理者は考えます。この時代以前では、芸術とは、ごくわずかな貴族階級のためだけの嗜好品であり、大衆にとっては無縁のものであったのでしょう。ダ・ヴィビンチ、ミケランジェロなどの高名な芸術家たちは、貴族階級のパトロンに養われ、そのパトロンのために様々な芸術作品を生み出していたのです。
このような、特権階級のみが享受できる芸術に対するアンチテーゼとして、大衆のためのデザイン(バウハウスでいうところの工芸)という概念が生み出されていったのでしょう。

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